私の髪を切る唯一の男ヤマト

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 ここ5年ほど、私の髪はヤマトという美容師が切っていた。5年ほどというか、そもそもそれ以前は身内に髪を切られていたので、私がこれまでの人生で他人に髪をあずけたのは、おおむねヤマトひとりということになる。最初にその美容室を予約したときに担当してくれたのが店長であるヤマトで、それ以来ずっとヤマトだけを指名していた。

 

 

 ヤマトは30代後半の男性で、髪がうすく、すこぶる滑舌が悪い。まじで何言ってるか分からないときがある。

 最初の頃は私もヤマト初心者だったので、彼の反応を予測できず、しっかりと言葉を聞かないとこちらも適切なリアクションができなかった。「最近どこか行ったんすか?(滑舌ちょいワル)」「競馬に行きました」「あー!競馬って◎△$♪×¥●&%#!」「…(なになになに?!)」だいたいこう。

 本人には自覚がないタイプなので、聞き返したところで「いや、競馬って◎△$♪×¥●&%#!」となって終わる。

 

 でも1年ほど通って、ヤマトの相づちには規則性があることに気がついた。

 「今日このあとどっか行くんすか?」と訊かれて(だいたい行かない。訊かないでほしい)「いや、特にどこも」と答えると「マジすか!▲☆=¥!>♂×&◎♯!」などと言われるが、これに対する正しい反応は「そうなんですよ、いいですよね」だ。


 なぜって、ヤマトは基本「いいっすね」しか言わないので。

 規則性というか完全ワンパターン。「いいっすね」溺愛。「いいっすね」信者。


 何を話しても「いいっすね」。世間一般の常識に照らし合わせたらあんまり良くないようなことも、ヤマトは「いいっすね」と笑う。「この間マカオのカジノで結構すっちゃって」「いいっすね!」。「仕事辞めることにして」「いいっすね!」。「毎日5時間くらいスマホドラクエやっちゃって」「いいっすね!」。


 ヤマト初心者だった時代は、こいつ話きいてんのか?そもそも何言ってるか分からんのだが?と訝しんでいたけれど、これがだんだんとクセになる。

 ヤマトは絶対に私を否定しない。なのでたまに「最近どっか行きました?」「いや最近寒くて家にいます」「そっすよね〜やっぱ家一番いいっすよね〜」「でも外で運動したい」「そっすよね〜運動マジいいっすよね〜」みたいなことが起こる。家が一番いいと言った舌の根が乾かぬうちに屋外運動を褒めそやかす。「いいっすね」に一途すぎてその他のことに軽薄。

 ただでも、なんだかそれも面白くて、私はヤマトだけを指名し続けていた。

 

 そんなヤマトが、この夏に髪を切り終わったあと、えらく真面目な顔で打ち明けてきた。


 「自分、今月いっぱいで異動になりました」


 ヤマト、語尾を「っす」にする以外の話し方できたのか。記憶にあるかぎり、一番滑舌の良い発話だった。「どこの店舗かはまだ分からないけど、遠くになると思う。なので、今日で最後です」そう言って丁寧におじぎをしてきた。


 もうヤマトの甘すぎる滑舌にヒアリング能力を試すこともないのか。切られてる髪より年齢に似つかわしいだらだらした話し方が気になってしまうこともないのか。私は言いようのない寂しさにおそわれた。


 神妙な顔をしてる彼に、私は声をかけた。この5年間、私を肯定しつづけてくれたヤマトに感謝を込めて。「異動、いいっすね」とーーー。

 

 

 ところで、そろそろ髪を切りたいなと思い、昨日とりあえずホットペッパービューティーで同じ店を見たのですが、ヤマト、ごりごりにまだいるんだけど。えっなに。あのお別れはなんだった。しかも指名料が上がってやがる。顔写真も新しくしたのか、えらそうに腕を組んでて腹立たしい。残留、いいっすね、ってか?!ああ?!また指名させてもらうからなあ?!

 おしまい。