デスマーチが鳴りやまない

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本文とは一切関係のない、しまなみ海道を爆走したときの海

デスマーチが何なのかはよく分かってないです。トンチンカンな労働環境、押し迫る納期、増え続ける仕事、伸びない売り上げ、意味不な上司命令、先輩とのバッドコミュニケーション、残業後にメシを食う店がない、なのに減らない体重、そんなものの総称だと思っています。ぜったい違う。


わたしが何をしたって言うんだ、ただ何もしたくないだけなのに。そんな気持ちで毎日働いていますが、何もしたくないわたしの前にバカほど仕事は山積みなので、うつろな目でその山を見つめ、嘔気をこらえて手を動かしています。その間にも次々仕事が積まれていくので、たまにうっかり気が狂いそうになって周りを見渡してしまう。皆さんこれ、マジで正気を失わずにやり続けてるんです?


雀の涙ほどの賃金から、小雀の涙ほどの税金がさっ引かれて、わたしの手元に残ったいくばくかのお金が、どうやらこの日々の対価らしい。わたしの涙のほうがよっぽど大粒だ。おかしな話だ。わたしの命を、労働を通じて金に換えているわけです。寿命に労働を添加してようやく、生きるための金をもらってるわけです。


生きてるだけで尊いとかいう表現がある。間違ってない、けど尊さで腹は膨らまない。生きてるだけで尊いけど、生きてるだけでは生きていけない。あなたは生きているだけで尊いです、ただそれはそれとして労働はしてくださいね。


仕事、楽しい瞬間もないわけじゃない気がしないでもない。ただもう耐えられんと思う瞬間が強烈すぎて、こんなことをぐだぐだと書いているわけです。途中まで帰りの電車で書いていたけど、今はコンビニで買ったハイボール缶を飲みながら家で書いていて、まあほどよく全部どうでもよくなってきた。命と引き換えに手に入れた金と引き換えに350mlのハイボールをひとつ買いました。このハイボールはわたしの命より重い。もう飲み干しそうですが。


会社近くのファミリーマートの店員、いつの間にか胸につけてる名札の文字が二桁の数字にすげかわってて仰天した。あなたたち名前はどうしたの。わたしは今朝、25という数字を胸に携えた女性から缶コーヒーを買いました。防犯なのか。どう言うナンバリングなんだろう。25の人が辞めたら次に新しく入った人が25になるんだろうか。それとも25は欠番になるんだろうか。


さっき寄った家近くのファミマにはまだ人の名があって、夜いつもいる黒髪と金髪がハーフアンドハーフな男ヒシカワから命より重いハイボールを買いました。ヒシカワが数字になるときは何番になるんだろう。わたしが数字になるときは何番になるんだろう。ハイボールを飲み干しました。

きのう、父親と二人で数年ぶりにでかけた

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入口から圧倒されたジョー
 「今日なんだかんだ晴れてよかったね」と天気に触れたら、いよいよ話すことがなくなった。隣に座る父親から、そうだなあとだけ返事がくる。もういいか、と思って、あらかじめ鞄の中に入れていた文庫本を出した。どんな話?と訊かれたので、デリーからロンドンまで、乗合バスで行く紀行記と答えた。確か6巻まで全部買っているけれど、1巻がたいそう面白くて繰り返し読んでしまうので、わたしは作者がロンドンまで行けたのかを知らない。
 
 父親と二人で電車に乗って出かけるなんて、いったい何年ぶりだったんだろう。
 
 会社の先輩が、「あしたのジョー」の展示イベントのチケットをくれた。ので、わたしのまわりで唯一あしたのジョーの話がわかる(というかわたしにあしたのジョーを教えた)人である父親を誘って、土曜昼の京王線に揺られていた。前日の夜、私は仕事終わりに実家に帰り、実家にあるあしたのジョーの漫画を読んで予習(復習?)し(けれど酔っていたので、ジョーが力石と出会うところまですらたどり着けない失態)、入念に準備。電車はほどよく混んでいて、やっぱり一人残らずマスクをしていた。
 
 駅からぼちぼち歩くところに会場はあった。道中は見かけた店なんかが話のたねになった。「成城石井も安売りするんだろうか」「北千住の成城石井は夜になると惣菜が安くなるよ」「北千住と世田谷の成城石井はきっと違う」
 
 展示は素晴らしくよく、ばかみたいになんべんも「ちばてつやは絵がうまい」と思った。あたりまえだ。あたりまえなことを、あらためて思わせる迫力が生原稿にはあった。読んだことない人、まさかいないと思うけど万が一いたら即読んでほしい。人生の大切なことがだいたい描いてあるので。少年院から出所したジョーがドヤ街の人に歓待されて夜に泣く話と、廃人になってしまったカーロス・リベラと再会する話と、のりちゃんとデートする話と…気に入っている話をあげようとしたけど、キリがないのでやめます。
 
 昼すぎに会場を出て、何か食べようと立ち寄ったのは蕎麦屋だった。「お酒を飲むか」と父親がわたしに尋ね、「もちろんだよ」と答えた。土曜の晴れた日中に飲む酒はおそろしくうまい。蕎麦屋らしく板わさやだし巻き卵なんかをつまみにして、焼酎の蕎麦湯わりや冷酒をたらふく腹に入れた。おのおの、あしたのジョーの素晴らしさについて語る。展示の最後にあった、第一話が掲載された少年マガジン、あの本誌おれたぶん買ってたんだよ、なんかすごいよな、と父親はどこか愉快そうだった。蕎麦じたいもとても美味しくて、もしかして最高の1日かもしれないと思った。
 
 帰りは、父親が大学時代に住んでいた駅で途中下車してみようという話を、あらかじめしていた。
 わたしは初めて降りる駅だった。でも父親はすべてが懐かしく、かつ新鮮だったようで、「ここの定食屋によく通ったんだ」「この角にタクシー会社があって…あ、マンションになってるな」「うわ、この踏切、あの頃のままだ」目に入るものすべてにコメントを残していく。わたしが何も相槌を打たなくても、溌剌と話し、ぐんぐん細い路地を進んでいく父親を見て、もしかして今わたしの存在は父親に忘れられているかもしれない、と思った。父親はひょっとしたら、かつてここに住んでいたハタチの大学生に戻っているのかもしれない。
 
 おれが住んでいたアパートが実は近いんだ、というので、せっかくだから歩いてみようということになった。
 もしかしたらもうないかもしれない。というか、ない可能性のほうが高い。「住んでいた当時から、築10年は経っていそうなアパートだった」歩きながら父親が言う。「友達に勧められたんだ、風呂があって5万を切るからって。喜んで住んでみたら、おれより喜んでその友達が風呂を借りにきた」
 父親の道順の記憶が、わたしからしたら異常に鮮明で、ここは右だ、ここはまっすぐ、と、何を目印にしているのか、まあたらしそうな住宅街を迷いなく進んでいく。けれど、途中ではたと立ち止まり、「ここから先がわからない」と肩を落とした。しかたなし、ダメもとで令和の技術に頼ろうと、Google Mapに父親が記憶しているアパートの名前(山田荘、みたいなやつ)を入れた。すると、現在地からわずか、50メートルほどのところにピンがたった。歩いた先に、そのアパートはごく普通にあった。
 
 
 何も変わってない!とはしゃぐ父親の声が、音なのに光みたいで、あまりにもまぶしかった。
 
 ここの入口、この郵便受け、変わってない、すごいな。あの1階のまんなか、いま傘が置いてあるから誰か住んでいるんだな。あそこにおれが住んでいたんだ。
 どこにでもある古いアパート。だけどハタチのお父さんがかつて、ここで暮らしていたのだ。そのアパートを、60をすぎた父親と、その娘のわたしが見ている。不思議で、ちょっと胸がつまった。
 せっかくだし写真を撮ろうと、アパートの入口の名前んとこ(山田荘、みたいなやつ)の横に父親を立たせて、スマホを構えた。うれしそうに笑う父親を4.7インチの画面におさめて、これはここ最近でいちばんの写真だ、と思った。
 
 帰りは満腹感と満足感でねむたかった。わたしが実家LINEに送った写真を見た母から、「楽しそうでずるい、甘いものを買ってきて」とむくれたリクエストがきた。「このリクエストはおそろしい、お母さんは意に沿わないものだと怒るからな」と父親は笑って、いっしょに新宿の京王百貨店でお土産を探した。
 
 帰りの電車で「今日、なんだかんだ晴れてよかったね」と、行きと同じセリフを、わたしはもう一度しみじみと言い、「そうだなあ」と、隣に座る父親が答えた。車窓から見える夕暮れの空はよく焼けていて、わたしは今度は本を出さず、目を閉じてすこし眠った。

カツサンドの朝

とある冬の日記が出てきたので活用(カツだけに!)。

 

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今朝も6時に起きてしまった。
アラームが鳴って、本当は二度寝しようと思ったのに、隣で寝ていた恋人が「起きるの?起きなよ」と私を布団から追い出したからだ。


まったく開かない目でシャワーを浴びる準備をして、風呂に入る。ヒートショックってどうやって防ぐんだっけ、と思いながら熱いシャワーを浴びる。
面倒だと思って後回しにしていたボディソープの詰め替えを意を決してやる。分かっていたことだけど、意を決するほどの作業でもない。でも毎度面倒だと思ってしまう。


浴室から出て服を着替え、リビングに行く。カーテンを開けると、ちょうど太陽が住宅街の隙間から顔を出すところだった。まぶしい。けどなんか良い。
一日の始まりが明るいっていうのは良いことだ。そのあと、どんなにかったるいこと(仕事)が待っているとしても。


今日の弁当はカツサンドにしようと昨日から決めていた。そのために3割引になっていたロースカツが冷蔵庫に眠っている。
これは食パン3斤を消費するためでもある。5日ほどで2.5斤くらい食べ尽した。食パンはその高さの減りっぷりで私の食いっぷりを如実に表す。日頃食べてる量なんてあまり分からないけれど、食パンは分かりやすいな。面白いし、おそろしいと思った。私、そんなに食べとんのか…。

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カツサンドを作ったことがなかったので、どんなもんかねと思ったけど、案外面倒で、案外美味しくできた。
まとめて千切りにしてあったキャベツを100均のレンジ蒸し器に放り込んでチン、ほどよくしなしなになったら適当に塩をふりかけておく。
パンは耳を落として(耳は冷凍する)、いい感じの焼きめがつくようにトースト。そもそもパンの原木からのスライスが下手で、厚みが均一にならないので、トーストは気をつけないとすぐに濃い茶色になってしまう。今朝もなった。
せっかくだしと、トーストするバージョンと生パンバージョンでカツをサンドしてみた。コンビニのカツサンドからしが入っているけど、私は苦手なので入れない。こういうことができるのが自作の良いところだ。


シーガルの弁当箱に詰めたが、4つできたうち1つは入りきらない。入りきらないなら仕方ないなと、いそいそとコーヒーとゆで卵を用意して、優雅なモーニング。窓を開けると、できたての新鮮でつめたい空気が部屋に入ってくる。できたての日の光を浴びながら、できたての空気を吸い、できたてのカツサンドを頬張る。贅沢な朝だ。


無駄に早起きするのも、結構いい。というかそもそも早起きが良いことは、早起きする前から分かっている。でも毎度起きたくないなと思ってしまう。ボディーソープの詰め替えと同じだ。


できれば、良いと思うことを、面倒くさがらずにやっていきたいもんだねえ。
とにかく今日一日、無事に仕事が終わって、なるたけ早く退社できますように。会社にきて願うことはもう、それだけだ。

ああすばらしき土曜夜

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 夕方17時、東京ドーム近くの店で友人たちと落ち会う。わたしが一番最後で、わたしが席につくなり、友人の一人が「これ、みんなにプレゼントなんだけど…」と言いながら洒落たSABONの袋を取り出す。プレゼント慣れしていないおれたちは本気でうろたえ、「えっ、これを受け取ったらなにか要求される?」「SABONの社長と付き合い始めた?」「闇ルートで仕入れたやつ?」ありがとうの前に疑問を矢継ぎ早に話す。今思えばえらく失礼だ。そして純粋なプレゼント(純粋なプレゼント?)と知り、いたく感動。「こんなことってあるんだ」「これからはなるべく人に贈り物をしよう」「人間のあたたかさにふれた」生きることに疲弊している週末は、可愛らしく結ばれたプレゼントのリボンが目に染みる。華やかな香りの贈り物は胸が弾んだ。

 

 そこは何度も行っている店で、初回の注文を伝え終えると、店員さんは必ず「すぐ出るものの注文は大丈夫ですか」と確認してくれる。というかいつもなんだから最初からすぐ出るもの注文すべきだな、と今思った。次に生かす。でもたぶん次もまた忘れて訊かれる。「今日は水茄子の刺身がおすすめです」と言われ、勧められるがままに注文、受領、美味。

 人数分の刺身を盛り合わせてくれた大皿はうつくしく、目が楽しい。カワハギの肝和えは毎回頼むが、毎回うまくてすごい。入梅イワシはとろとろで、この季節ばかりは鰯という文字が似合わないと思う。つよいです、イワシ先輩。いつもメインはブリしゃぶを食べるが、今日は前から気になっていた魚の焼肉を頼んだ。これがうまい。しっかりとタレの味が絡み、しかしそれに負けない魚の旨みがある。中心部はレアにして表面のみ焼くと、ほどよく脂が落ちた外側はほんのりと香ばしく、内側はとろりと甘く、なんとも贅沢だ。

 

 そのほかに、岩ガキ、はたはたの天ぷら、なめろう、たくさんの日本酒を飲む。かわいい店員さんは飲兵衛にやさしく、一合を飲み干すと「次のおすすめをお持ちしますか」と訊いてくれる。酒を飲みたいが、どれがいいのかわからないわたしたちにとって、「おすすめ」はありがたすぎる言葉だ。おねがいします、と言うだけでまたうまい酒が飲める。なんて素敵なシステムだ。アレクサ、音楽かけて。お姉さん、おすすめをお願いします。

 

 しこたま飲み食いして店を出るとまだ19時半で、17時集合の素晴らしさにひたる。空には明るさがわずかに残っていて、ああ夏がきたと思う。この夜を延長するためにスタバへはしご。路面に設置されたテーブル席で、おのおの好きなドリンクを飲み、夜風に涼む。ありがたし、土曜夜。酒を飲んだあとのコーヒーの美味さは、大人になって知ったすばらしきもののひとつ。

 

 わたしたちはそれぞれ何某かのおたくで、それぞれが好きなものの話をする。わからない話もあるが、それはそれでなんとも楽しい。異国のおとぎ話をきくようだ。中学の時から友達で、それからまぁまぁの時が流れたはずなのに、好きな話をしているときは14歳みたいな顔で笑う。それがとても良いと思う。好きなものを食い、好きなものを飲み、好きな人間たちと好きな話をする時間より尊いものは、多分ない。 

【2月のテーマ】面倒なことめっちゃやる

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本文とは一切関係ない、この間食べた台湾料理たち


夏休みの宿題をちゃんと出したのは小学校まで。高校の時、塾に行きたくなくて通信講座を始めたけど、教材を山ほどためてしまい、それを自室の床にしきつめて「これが全部終わるまで絶対寝ないぞ…!」と心を決めた2時間後、廊下に布団敷いてふつうに寝た。大学時代、期日までに出せたレポートは、友達とペアだった一つだけ。先生に送る謝罪メールはお手のもの。研究室のゼミ発表資料は、当日の朝3時から制作本番。ご祝儀のお札が用意できなくて、直前にATMで入出金を繰り返すピン札ガチャ。見えるところだけ掃除して、見えないところは延々と放置するスタイルの家事。

 

いくらさかのぼっても何かをコツコツやった記憶はない。

私は面倒なことをトコトン先送りして生きてきた。

 

と、いうわけで、今月のテーマは「面倒なことめっちゃやる」になりました。

先月のテーマはないし来月もあるか分からないけど、とにかく今月のテーマは「面倒なことめっちゃやる」です。「目標」にすると強いられてる感があるので、ポップに「テーマ」。

 

面倒なことは、例えばこんな感じ。

 

・確定申告

・目をそらしている場所の掃除

・スルーしているLINEの返信

・宅急便の再配達依頼

・こまごまとしたルーティン

 

というか、基本「面倒だな」「やりたくないな」「明日でいいか」を片っ端からやっていく気持ち。逆張りしまくる。そうすれば何か変わるんじゃないかなと思いました。

 

とりあえず、かき氷のメロンシロップが冷蔵庫の野菜室で倒れてエイリアンの体液か?ってくらい明るい真緑の液体がぶちまけられてたのを一生懸命掃除したのでほめてほしいです。あれは今年イチ「見なかったことにして放置したい」光景だった。メロンシロップの保存にはくれぐれもお気をつけください。おしまい。

恋人が同性だと9楽しくて1しんどい、その1の話

実家で母の誕生日会をした。母は私に「おばあちゃんを呼んでもいいか」ときいた。「あんたが嫌なら呼ばない」という。ずるいと思った。嫌か嫌じゃないかと言えば嫌で、それはおばあちゃんは必ず私に結婚や子供の話をするからだけど、でも母親に「あなたのお母さんが来るのは嫌です」とは到底言えない。なので答えはもちろんイエスだ。というわけで、誕生日会にはおばあちゃんが来た。
 
母はおばあちゃんが来るとなると妙に張り切る。母がおばあちゃんからの評価を気にしすぎてることに由来すると思う。私はそれを見るのもあまり好きではない。お母さんがいたいたしいと思うし、そういうお母さんの健気ながんばりをたまに無神経に悪気ない言葉でおばあちゃんがぶち壊しにして、あからさまに母が傷つくのが見ていられないからだ。でも母は、たぶんいい娘でいたいのか、そういうイベントごとに誘うとか、おばあちゃんの好物を作るとか、わかりやすい親孝行をしようとする。どうしてもそれを素直によしと思えない私は、親孝行の精神が足りていないのかもしれない。
 
とにかく、そうしておばあちゃんがきた。食卓には、父と母があちこちで買い集めてきた食べ物が並ぶ。にぎりたての寿司、デパチカみたいなサラダ、Lサイズの宅配ピザ、その他はなやかなもろもろ。冷蔵庫にはホールケーキもある。おばあちゃんは嬉しそうだ。でも私は身を固くして警戒している。いつ、おばあちゃんから恋愛関係の話がふられるのか気が気じゃない。寿司は大好物なのに、あとになって思い返しても味が全然思い出せなくて笑えた。よほど気を張っていたのだと思う。
 
おばあちゃんは席についてまず、美容師らしく私の髪型を褒めた。そして化粧、次に服を。これだから私は、おばあちゃんが来るときは身だしなみを気をつけないといけない。このどこかに問題があると、「綺麗にしておかないと結婚できない」みたいな話になる。とはいえ、綺麗にしていたところで、「もういつでもお嫁にいけるのにね」みたいな話になるのだけど。ご近所さんとの会話で、「孫の結婚式に呼ばれた」という話があったようで、「うちはね〜どうかしら」と答えておいたわ、と私に言う。そこですかさず母が「そうだね、10年後くらいになるかもしれないから、長生きしないとね」と冗談っぽく言う。私は「お父さん、痩せたらしいよ」と話題を変える。
 
ずっと、この繰り返しだった。
 
おばあちゃんが何か、私の結婚や出産や将来にまつわることを言う。母が「どうだろうね、周りの子も結婚してないもんね?転職は多いけどね」と、論点をずらせているんだかいないんだかなことを言ってごまかす。私はそれには答えず、まったく違う話題を振る。この繰り返し。ひたすら。
 
わかる。みんな私の幸せを望んでいることはわかる。そして同じくらい、自分も、他人と同じかそれ以上に、幸せになりたい、その気持ちもわかる。
おばあちゃんは私が思っている以上にきっと近所づき合いの中で、孫の結婚や、ひ孫の話をきいていて、私のそれを心待ちにしていることもわかる。
母は、私の居心地の悪さを察していて、おばあちゃんの話に乗らず、あくまでもフラットに話をかわしてくれている。わかる。
 
でもかなりしんどかった。
こんなことを、この場だけではなく、このままだと、一生くり返していくんだ。
おばあちゃんは会う度に私に結婚の話を振るだろう、母は本心では私に結婚してほしいのに、その気持ちを殺して「まあどうだろうね?」みたいなことを言うんだろう、私はその話に乗らず、意味の分からない話題を振るんだろう。
誰もかみあわない、どうしようもないコミュニケーション。こんなことを一生、ほんとに、一生。それは母と祖母に限らない。
 
耐えられる気がしない。母にも祖母にも申し訳ない。
どうしてこうなってしまったのか。どうしたらよかったのか。どうすればいいのか。帰り道、涙がとまらなかった。
 

今さら医者や学者にはなれないが、せめて正直者になってみたらどうか。

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内容とは一切関係のない、これらのつまみが数分でなくなりすぐに追加した宅飲み

「無限の可能性」という名の有限な何かをきっちり使い果たし、20代のピリオドがすぐそこまで接近。手持ちのカードは「転職」や「引越し」「飲酒」とかの数枚で、「医者になる」とか「学問を追求する」はない。選択肢は減り、跳べる高さは低く、つねに「現実」がつきまとう。

 

決死の思いで布団をぬけ出して電車に乗りこみ、かったるさを足かせのように引きづりながら出勤する平日。退社時刻を今か今かとカウントダウンしてどうにか仕事をこなし、数時間分の疲労を両肩に乗せてまた電車へ。同じように暗い表情の乗客とスマホ画面を交互に眺めつつ、頭の中で冷蔵庫を開いて夕飯のメニューを考える。帰宅して上着をハンガーにかけ、つつましい食事をこしらえて腹に入れ風呂につかり朝まで眠る。そしてまた起きて働く。定期的におとずれる休日とわずかな給料を楽しみに、毎朝電車に乗る。

 

子供の頃想像していたよりも「大人の私」の日常はあまりに泥くさかった。

もっとエネルギーにあふれてきらめく、自由闊達な日々を夢想していた。

 

今さら医者や学者にはなれない。

けれどせめて、正直者になってみたらどうか。

 

正直者なのでもちろん、嘘やおべっかは言わない。口にするのは本当のことだけだ。

 

ダイエットに励む父は私が帰省するたび、「おれどう?やせてきた?」とうきうきしながら訊いてくる。これまでは「やせてる〜ガリガリ〜」と答えていた。でももうこう言おう。「まったく変わらん!」

 

職場の先輩は手元の仕事に飽きると、ヤマもオチもない話題を私に振ってくる。これまでは「そうなんですか〜へ〜は〜」と答えていた。でももうこう言おう。「ちょっと今忙しいのでSiriとでも話してもらえますか?!」

 

結婚願望がある友達は頻繁になんたらコンという名を冠したイベントに行っては、収穫がなかったと嘆く。これまでは「大丈夫だよ次があるさ」と答えていた。でももうこう言おう。「結婚しちゃったら寂しいからずっと独身でいてくれ!」

 

ここまで書いて、言葉だけでは正直者として不十分だと気づいた。真の正直者は、行動も正直であるべきだ。自分の本心に反することはしない。

 

まず、出勤するのをやめる。だって本心では出勤なんてしたくない。ずっと家にいたいのだ。仕事が嫌なので、在宅勤務とかではなく一切の労働を放棄。ただお金は欲しいから、給料は請求する。なぜってそれが本心なので。家の中でごろごろしながら、給料が振り込まれるのを待つ。ポテチやピザも食べたい。好きなマンガを携えて、コーラを飲んだりしよう。太るとか体に悪いとかは、ただの事実であって「食べたい」「飲みたい」という本心とは関係ないので無視だ。そして誕生する、ぶくぶくに太った仕事のできない30代女———。



よくわかりました。過剰な正直は身を滅ぼしますね。これからも自分の本心に嘘をつき、適度におべっかを使いながら、泥くさい毎日をなるべく愉快に過ごしていきたいと思います。おしまい。