きのう、父親と二人で数年ぶりにでかけた

f:id:itsuki42:20210307181204j:plain

入口から圧倒されたジョー
 「今日なんだかんだ晴れてよかったね」と天気に触れたら、いよいよ話すことがなくなった。隣に座る父親から、そうだなあとだけ返事がくる。もういいか、と思って、あらかじめ鞄の中に入れていた文庫本を出した。どんな話?と訊かれたので、デリーからロンドンまで、乗合バスで行く紀行記と答えた。確か6巻まで全部買っているけれど、1巻がたいそう面白くて繰り返し読んでしまうので、わたしは作者がロンドンまで行けたのかを知らない。
 
 父親と二人で電車に乗って出かけるなんて、いったい何年ぶりだったんだろう。
 
 会社の先輩が、「あしたのジョー」の展示イベントのチケットをくれた。ので、わたしのまわりで唯一あしたのジョーの話がわかる(というかわたしにあしたのジョーを教えた)人である父親を誘って、土曜昼の京王線に揺られていた。前日の夜、私は仕事終わりに実家に帰り、実家にあるあしたのジョーの漫画を読んで予習(復習?)し(けれど酔っていたので、ジョーが力石と出会うところまですらたどり着けない失態)、入念に準備。電車はほどよく混んでいて、やっぱり一人残らずマスクをしていた。
 
 駅からぼちぼち歩くところに会場はあった。道中は見かけた店なんかが話のたねになった。「成城石井も安売りするんだろうか」「北千住の成城石井は夜になると惣菜が安くなるよ」「北千住と世田谷の成城石井はきっと違う」
 
 展示は素晴らしくよく、ばかみたいになんべんも「ちばてつやは絵がうまい」と思った。あたりまえだ。あたりまえなことを、あらためて思わせる迫力が生原稿にはあった。読んだことない人、まさかいないと思うけど万が一いたら即読んでほしい。人生の大切なことがだいたい描いてあるので。少年院から出所したジョーがドヤ街の人に歓待されて夜に泣く話と、廃人になってしまったカーロス・リベラと再会する話と、のりちゃんとデートする話と…気に入っている話をあげようとしたけど、キリがないのでやめます。
 
 昼すぎに会場を出て、何か食べようと立ち寄ったのは蕎麦屋だった。「お酒を飲むか」と父親がわたしに尋ね、「もちろんだよ」と答えた。土曜の晴れた日中に飲む酒はおそろしくうまい。蕎麦屋らしく板わさやだし巻き卵なんかをつまみにして、焼酎の蕎麦湯わりや冷酒をたらふく腹に入れた。おのおの、あしたのジョーの素晴らしさについて語る。展示の最後にあった、第一話が掲載された少年マガジン、あの本誌おれたぶん買ってたんだよ、なんかすごいよな、と父親はどこか愉快そうだった。蕎麦じたいもとても美味しくて、もしかして最高の1日かもしれないと思った。
 
 帰りは、父親が大学時代に住んでいた駅で途中下車してみようという話を、あらかじめしていた。
 わたしは初めて降りる駅だった。でも父親はすべてが懐かしく、かつ新鮮だったようで、「ここの定食屋によく通ったんだ」「この角にタクシー会社があって…あ、マンションになってるな」「うわ、この踏切、あの頃のままだ」目に入るものすべてにコメントを残していく。わたしが何も相槌を打たなくても、溌剌と話し、ぐんぐん細い路地を進んでいく父親を見て、もしかして今わたしの存在は父親に忘れられているかもしれない、と思った。父親はひょっとしたら、かつてここに住んでいたハタチの大学生に戻っているのかもしれない。
 
 おれが住んでいたアパートが実は近いんだ、というので、せっかくだから歩いてみようということになった。
 もしかしたらもうないかもしれない。というか、ない可能性のほうが高い。「住んでいた当時から、築10年は経っていそうなアパートだった」歩きながら父親が言う。「友達に勧められたんだ、風呂があって5万を切るからって。喜んで住んでみたら、おれより喜んでその友達が風呂を借りにきた」
 父親の道順の記憶が、わたしからしたら異常に鮮明で、ここは右だ、ここはまっすぐ、と、何を目印にしているのか、まあたらしそうな住宅街を迷いなく進んでいく。けれど、途中ではたと立ち止まり、「ここから先がわからない」と肩を落とした。しかたなし、ダメもとで令和の技術に頼ろうと、Google Mapに父親が記憶しているアパートの名前(山田荘、みたいなやつ)を入れた。すると、現在地からわずか、50メートルほどのところにピンがたった。歩いた先に、そのアパートはごく普通にあった。
 
 
 何も変わってない!とはしゃぐ父親の声が、音なのに光みたいで、あまりにもまぶしかった。
 
 ここの入口、この郵便受け、変わってない、すごいな。あの1階のまんなか、いま傘が置いてあるから誰か住んでいるんだな。あそこにおれが住んでいたんだ。
 どこにでもある古いアパート。だけどハタチのお父さんがかつて、ここで暮らしていたのだ。そのアパートを、60をすぎた父親と、その娘のわたしが見ている。不思議で、ちょっと胸がつまった。
 せっかくだし写真を撮ろうと、アパートの入口の名前んとこ(山田荘、みたいなやつ)の横に父親を立たせて、スマホを構えた。うれしそうに笑う父親を4.7インチの画面におさめて、これはここ最近でいちばんの写真だ、と思った。
 
 帰りは満腹感と満足感でねむたかった。わたしが実家LINEに送った写真を見た母から、「楽しそうでずるい、甘いものを買ってきて」とむくれたリクエストがきた。「このリクエストはおそろしい、お母さんは意に沿わないものだと怒るからな」と父親は笑って、いっしょに新宿の京王百貨店でお土産を探した。
 
 帰りの電車で「今日、なんだかんだ晴れてよかったね」と、行きと同じセリフを、わたしはもう一度しみじみと言い、「そうだなあ」と、隣に座る父親が答えた。車窓から見える夕暮れの空はよく焼けていて、わたしは今度は本を出さず、目を閉じてすこし眠った。