軽率にやるパーティのすすめ

   パーティが好きだ。まず言葉の響きがいい。とても華やかじゃないか。パーティ。いやおうなしに胸が高鳴る。祭り囃子を耳にすると、その場にいなくても気分が高揚するのと同じ原理だ。多分。「今度の週末、パーティやろうよ!」と声をかけられて、怒鳴り散らしたり泣き出す人はそうそういない。もしいたら、よほど何かがしんどいのだろうからそれこそパーティが必要だ。とにかく、私はパーティが好きだ。

 

   パーティと言われて、大抵の人が思い浮かべるのは「誕生日パーティ」とか「クリスマスパーティ」とかだろう。プレゼントを用意して、ケーキやらチキンやらワインやら、とりあえず洒落たもの、カナッペとかピンチョスとかアボカドとか(イメージ貧困)、なんかちょっと良い感じの食事会。私もそういったパーティは好きだ。ただ、私はそういうしっかりしたやつじゃない、「軽率にやるパーティ」も同じくらい大好きだ。

 

軽率パーティその1(コナン映画の笑いどころを議論しようぜパ)

 何のコンセプトもなくて良い。手作りのものが一つもなくたって大丈夫。金さえ払えば欲しいものは手に入る時代だ。特別な日じゃない、なんのこっちゃない普通の日に、食べたいもの、並べたいものをそこに広げて、好きなようにやっちまえば良い。それが「軽率にやるパーティ」だ。

 

 

軽率パーティその2(欲望のままに出前中華パ)

 出前は便利だ。友達の家で遊んでいて、わざわざ食事のために外に出るのは億劫、かといって何か作る気にもなれない、そんな時は出前が良い。スマホ一つで美味しいものを山ほど現在地に届けてもらうことができる。あれもこれもとハイなテンションでカートにつっ込み、いざ届いて「これは多すぎる!」とがく然とするのも一興。でも結局食べきれちゃってまた一興。

 

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軽率にやるパーティその3(欲望のままに出前中華パ2)

 中華好きだな。

 

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軽率にやるパーティその4(新宿御苑でノンアルぱ)

 パーティはもちろん外でもできる。暑くもなく寒くもない、外にいて心地よい気候は短命なので、積極的に屋外にくり出したい。書を捨てよ町へ出よう、そしてパーティをせよ。ちなみに、レジャーシートが青いと、どんなに頑張っても写真は映えないのでご注意ください。

 

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軽率なパーティその5(料理上手な友達ありがとうパ)

 手作りのものを食べるのももちろん良い。この鍋は鯛鍋で、ふるさと納税で大量に鮮魚が届いた友人宅でご馳走になった。みんなが鍋の前菜をこしらえたり、鯛をせっせとさばく中で、私は一生懸命に鍋用のネギ切った。私の唯一の仕事は「ネギがでかい」「食べづらい」「一口サイズの意味しってるか」とみんなに大好評だった。

 

 

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軽率にやるパーティその6(安定のタコパ)

 遠方に住んでいる友達の家にわざわざタコパをしに行った。友達の家にはたこ焼き器がなかったので、事前に私がネットで注文して、友達に受け取ってもらった。タコパ好きすぎかよ。タコパの醍醐味は買い出しにあると言っても過言じゃない。買い出しは理性を捨てるが勝ちだ。「この具材は合うのか…?」といった固定観念をぶん投げて、入れたいものを片っ端から買う。

 

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最終的に具材があまってこうなりがち

 やりすぎはない。たこ焼きは爆発だ。

 

 

 

 

 軽率にやるパーティに、たくさんの料理や一緒に楽しむ人間は必須ではない。自分一人だっていいし、食事は質素でも大丈夫。「パーティをやるぞ」という気概が大事だ。にしても「雪の前夜パーティ」の強引な感じすごいな。

 

 宅飲みでも、ピクニックでもなく、「パーティ」と名付けることで、自由度がぐんとあがって、わくわく感もけた違いな感じ、しませんか。ただの夕飯、ただの宅飲み、ただのピクニック。誰かにとってはそうであるものを、しかし私が「パーティ」と名付けたとして、誰に迷惑がかかろうか。この世界の幸せの総量が、私ひとり分増えるだけだ。私は私がなるべく生きやすいように、世の中の見方をすこし都合よくいじる。それはやさしくて簡単なライフハック

 

 パーティにルールや統一感はいらない。正しさや誤りもない。パーティと名付けるだけで、祭りを始めることができる。ここまでの画像の下の説明文、「軽率パーティ」だったり「軽率にやる」だったり「軽率な」だったり、形容の統一感がないけど、しかも今気づいたけど、それも良いの、パーティだから。パーティやさしいから大丈夫。

 

 あ、私の現状も、「無職パーティ」の真っ最中だと考えたらどうだろう。はたしてこのパーティに終わりは来るのか。いやおうなしに胸が高鳴るぜ(動悸)。


 

   

オレ、無職

超うまいものが貼ってあるよ

文章とは一切関係のない、佐世保で食べた超うまい佐世保バーガー

 正真正銘、まじりっけなし、ピュアピュアの無職になっていつの間にか1ヶ月半がたった。早くないか月日。昨日、この春から前職の社内でも有名なバキバキの部署(バキバキの部署?)に異動した後輩と飲んだら、内示直後はびーびー泣きながら異動先への不安を口にしていたのに、もうすでに一丁前に仕事をしていて、なんなら不安が不満に変わってクダ巻いてた。私はそれに舌巻いた。ピュアピュアな後輩が、努力してゼロから新しい仕事を覚えて、きちんとモノにし、自分のやっていることをとうとうと私に語ってみせる。1ヶ月半とは、どうやらそういう時間らしい。

 

 でもピュアピュアな無職こと私、ピュアピュアなままなんですけど。どうだいこのブレなさ。微動だにしてない。ピュアがインフレ。透明感がすごい。なんなら向こう側透けて見えそう。あれ、みんな私のこと見えてる?大丈夫?私ここに居るよ?

 

 これまでは会社に雇われていたから、意図せずとも規則正しい生活をして、山ほど知らない人と話して、疲れたり嫌なことがあったりして、まぁそんな感じで、布に例えるなら(なぜ布)毎日がパッチワークっぽいというか、食に例えるなら(なぜ食)好物以外も出てくるコース料理みたいな感じだったんだけど、今はもうぜんぜん違う。何もしなければマジで何も起こらない。延々と寝続けてもなんの支障もない。朝までスマホいじってても大丈夫。だって仕事がないから。パッチワークが帆布に、コース料理が唐揚げのみ食べ放題に、って感じ。びっくりするほど例えが下手だな。帆布も唐揚げも好きだけれど、他の生地が欲しければ、他の物が食べたければ、自分でどうにかするしかない。

 

 生きるとは、かくも主体的なものだったのかと改めて実感してる。当然、前の会社だって自分で門を叩いて入ったわけだから、あの生活だって主体性の延長線上にあったわけだけれど、判を押すような毎日を続けた結果、そういうのがよくわからなくなっていたな。

 

 会社員と無職、どっちが良いとか悪いとかじゃないんだぜ。ただ、経験しないと分からないなあという話。とりあえず今回、私には「無職」という経験値が増えた。レベルアップかレベルダウンかは無粋だから論じるな。その経験値だけでも儲けもんだと思おうじゃないか。

 

 まあ現実問題、今なお儲け(収入)はゼロだけどね。レベルアップかレベルダウンかは無粋だから論じるな。